Created on September 07, 2023 by vansw

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な、むせ返るような水音が途切れ途切れに耳に届くようになった。


「ここまで来れば大丈夫でしょう」 と影が背後から声をかけた。「あそこの藪を横切れば、すぐ


溜まりに出ます。 門衛はもう追いつけません」


私はそれを聞いてほっと一息ついた。これまでのところ、 我々はなんとかうまくやり遂げたよ うだ。


しかしそう思ったまさにそのとき、我々の前に壁がそびえ立った。


壁はなんの前触れもなく、一瞬のうちに我々の前に立ちはだかり、行く手を阻んだ。いつもの あの高く堅牢な街の壁だ。私はその場に立ち止まり息を呑んだ。 どうしてこんなところに壁があ るのだ? このあいだこの道を来たときには、もちろんそんなものは存在しなかった。 私は言葉 もなく、ただその高さ八メートルの障壁を見上げていた。


おどろくことはない、と壁は重い声で私に告げた。 おまえのこしらえた地図なぞ何の役にも立 ちはしない。そんなものは紙切れに描かれたただの線に過ぎない。


壁は自由にその形と位置を変更することができるのだ、と私は悟った。 いつでも思うまま、ど こにでも移動できる。そして壁は私たちを外に出すまいと心を決めている。


「耳を貸しちゃいけません」と影が背後で囁いた。「見るのも駄目です。 こんなものただの幻影 に過ぎません。街がおれたちに幻影を見せているんです。 だから目をつぶって、そのまま突っ切


るんです。 相手の言うことを信じなければ、 恐れなければ、壁なんて存在しません」 私は影に言われたとおり、瞼をしっかり閉じてそのまま前に進み続けた。


173 第一部