Created on September 06, 2023 by vansw
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ぼくはきみの語る街のあり方や仕組みや、そこにある様々な光景を、専用のノートにひとつひ とつ書き留めていく。 ぼくはそのようにして、壁に囲まれた街について数多くの知識を得て、街 の存在をより確かなものとして受け入れるようになる。
「そんなに多くのことを書き留めて、どうするの?」ときみは不思議そうに尋ねる。 きみにとっ ては、それはいちいち記録したりする必要のないものごとなのだ。
「忘れないようにするためだよ。 すべてを文章にして正確に記録しておくんだ。間違いがないよ うに。だってこの街は、ぼくときみが二人だけで共有しているものだからね」
その街に行けば、ぼくは本物のきみを手に入れることができるだろう。そこできみはたぶんす 心をほくに与えてくれるだろう。 ぼくはその街できみを手に入れ、それ以上は何も求めないだ ろう。そこではきみの心ときみの身体はひとつになり、なたね油のランプの仄かな明かりの下で、 ぼくはそんなきみをしっかり抱きしめることだろう。それがぼくの求めていることだった。
秋になってきみからの手紙が途絶える。 新しい学期が始まり、九月の半ばにきみの最後の手紙 が届いて、そのあとはもう一通の手紙も送られてこない。ぼくはいつもどおりきみに宛ててほぼ 定期的に長い手紙を書くが、返答はない。どうしてだろう? きみの言うところの「心がこわば る」時期が長く続いて、 手紙を書くどころではないのだろうか?
「あなたのものになりたい」ときみは公園のベンチで言った。 「何もかもぜんぶ、あなたのもの になりたいと思う」
その言葉はそれ以来、ぼくの頭の中に鳴り響いている。 それが嘘や誇張やいっときの気まぐれ
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