Created on September 06, 2023 by vansw
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おれが死んじまってからでは間に合いません。そいつだけはよく覚えておいてください」
「覚えておくよ」
「あんたの方はどうです? うまく暮らせてますか?」
私は首を傾げた。「まだはっきりしたことは言えない。 覚えなくてはならないことがたくさん ある。外の世界とはまるで違うところだから」
影はしばらく黙っていた。それから顔を上げて私を見た。「それで・・・思っていた相手には会
えたのですか?」
私は黙っていた。
「それはよかった」と影は言った。
風が楡の枝の間を音を立てて吹き抜けていった。
「いずれにせよ、わざわざ面会に来てくれてありがとう。 会えてよかったですよ」、そして厚い 手袋をはめた片手をほんの少しだけ持ち上げた。
私と門衛は裏木戸をくぐって門衛の小屋に向かった。
「今夜もまた雪が降るだろう」と門衛は歩きながら私に言った。「雪が降る前には決まって手の ひらが痒くなる。 この痒さじゃ、たぶんこれくらいは積もることだろう」、彼は十センチほど指 を広げた。 「そしてまた獣がたくさん死ぬだろう」
門衛は小屋に入ると、作業台の上の鉈をひとつ選んで取り上げ、 細めた目でその刃先を検分し
た。それから砥石を使って、慣れた手つきで刃を研ぎ始めた。 しゃきっしゃきっという鋭い音が
とい
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