Created on September 06, 2023 by vansw

Tags: No tags

105


「いや、他に影はいませんよ。最初からずっと、おれしかここにはいない」


私は黙っていた。


「おれだって、いつまでこうしていられるか、わかりませんよ」と影は低い声で言った。 「本体 から力尽くで引き剥がされた影は、長くは生きられません。 おれの前にいた影たちはみんな、こ の「囲い場』の中で次々に息を引き取っていったようです。 冬の獣たちと同じようにね」


私はそこに立ったまま、 コートのポケットに両手を入れ、言葉もなく自分の影を見おろしてい た。楡の木の枝の間を吹き過ぎる北風が、頭上でときおり鋭い音を立てた。


影は言った。 「あんたが人生に何を求めるか、そいつはあんたの決めることです。 なんといっ てもあんたの人生ですからね。おれはただの付属物に過ぎません。立派な知恵があるわけでもな いし、現実の役にもほとんど立ちません。 でもね、おれがすっかりいなくなると、それなりの不 便は出てくるはずですよ。偉そうなことは言いたかありませんが、おれだって今まで何の理由も なく、あんたとずっと行動を共にしてきたわけじゃない」


「でもこうしないわけにはいかなかったんだ」と私は言った。「自分なりによくよく考えた末の ことだ」


本当にそうだろうか、私はふとそう思う。私は本当によくよく考えたのだろうか? ただ何か の力に引かれ、木ぎれが潮流に運ばれるようにここに行き着いただけではないのか?



影は小さく肩をすくめた。 「それは結局のところ、あんたが決めることですからね、おれには 何とも言えない。しかし、 もしもう一度もとの世界に戻りたいのであれば、そういう気持ちがま だあるのなら、なるべく早く心を決めた方がいいですよ。 今のうちならなんとかなります。 でも


"""



1


105